東京のすみっこより愛をこめて。fummyです😊💡
英語多読100万語を目指して読書を進める中で、Macmillan Readers(マクミランリーダーズ) レベル2(Beginner)の、チャールズ・ディケンズ作『二都物語(A Tale of Two Cities)』を読みました!
いやあやっぱり、ディケンズ面白い…!!!!
と、楽しんだことは楽しんだのですが、「多分これ、原作はもっと感動するんだろうなぁ…」というのが率直な感想です。
今回、英語学習者用の洋書であるGR(Graded Readers)で読みましたが、このお話、登場人物が多くて、人物関係もそれぞれの心理状況も複雑ですよね。なので、原作はこれらがもっと緻密に描かれて、ラストの感動につながっていくんだろうな、というのが予想できます。
というわけで、将来的に原作を読むことを考慮し、忘れないように、あらすじ、人物相関図、印象的なシーンの引用と翻訳をまとめてみました。
手前味噌ですが、人物相関図なんかは、結構参考になるのではないかなと思います(笑)。
『二都物語』のストーリーを思い出したい時や、いままさに読んでいていて人物関係がわからなくなった時に、ぜひ参考にしていただければと思います!
ストーリーのネタバレをしていますので、未読の方はご注意ください。
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チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)とは

チャールズ・ディケンズの肖像画(画像はWikipediaより)
チャールズ・ディケンズ(1812-1870)は、ヴィクトリア朝を代表するイギリスの国民的作家です。
『大いなる遺産』、『オリバー・ツイスト』、『デイビッド・コパフィールド』など、数多くの傑作を残しているので、ディケンズの作品を何かしら手に取ったことがあるという方は、多いのではないでしょうか。中でも、ディズニー映画にもなっている『クリスマス・キャロル』は、世界中の子どもたちに恐怖とトラウマを残したと思います(笑)。いやもうだって、「未来の墓場」怖すぎですもん…(T_T)(←被害者の会のひとりがここに。笑)
ディケンズ自身は中流階級の出身でしたが、父親の散財により生活は困窮していました。さらには父親の借金の不払いにより家族で牢獄に収監された上、ディケンズのみ靴墨工場に働きに出されるという、厳しい少年時代を送っています。この幼い頃の苦難は、ディケンズの作品に大きな影響を及ぼしていて、彼はしばしば貴族と下層階級の対立という題材を、労働者階級に同情的な視点で描いています。ちなみに、ディケンズは学校教育はほとんど受けていませんが、読書家で、大量の本を読んで育ちました。
今回は、ディケンズの作品の中でも、歴史小説である『二都物語』を取り上げます!
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『二都物語(A Tale of Two Cities)』について
今回取り上げる『二都物語』は、以下の本です。
原書ではなく、マクミランリーダーズという、英語学習者用に簡単な英語で書かれた洋書のシリーズの一つであることをご了承ください。ただ、一応「二都物語のWikipedia」を一通り眺めてみた感じでは、マクミランリーダーズ版でも、ストーリーは一通り網羅されているようでした。
ちなみに、『A Tale of Two Cities』は、マクミランリーダーズのレベル2(Beginner)の本で、「MMR2+」に当たります。「MMR2+」の詳しい難易度が気になる方は、以下の記事で解説していますので、参考にしてみてください!
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『二都物語』のあらすじ

時代は1775〜1792年。フランス革命(1789)前後の、「イギリスのロンドン」と「フランスのパリ」という二つの都市を舞台にした物語です。
1775年、パリ: アレクサンドル&ルーシー・マネット父娘とダーニーの出会い
イギリスのテルソン銀行の銀行員ジャーヴィス・ローリー(Jarvis Lorry)は、仕事でロンドンとパリの店舗を頻繁に行き来していました。
1775年のある日のこと、ローリーはルーシー・マネット(Lucie Manette)という少女を連れて、パリに向かいます。18年もの間バスチーユ監獄に収監されていたルーシーの父、アレクサンドル・マネット医師(Doctor Alexandre Manette)が、ついに解放されたのです。二人はマネット医師をパリに迎えに行き、ロンドンに連れ帰ります。
その帰途、イギリスに向かう船の上で、マネット父娘は、フランス人のチャールズ・ダーニー(Charles Darnay)と知り合います。彼も自らのビジネスのため、英仏を行き来していたのです。
1780年、ロンドン: ダーニーの裁判と、マネット父娘・ダーニー・カートンの親交の始まり
ロンドンに無事到着したマネット父娘は、ロンドンで二人で生活を始めます。
時は流れて1780年のある日のこと、マネット父娘は、オールド・ベイリー(中央刑事裁判所)で行われていたダーニーの裁判に証人として召喚されます。ダーニーはフランス人で、英仏を行き来していたため、スパイの嫌疑をかけられていました。ダーニーの弁護士ストライヴァー(Stryver)は、シドニー・カートン(Sydney Carton)というダーニーと容貌がとても良く似たイギリス人の男を引き合いに出し、ダーニーの無実を勝ち取ります。
この裁判をきっかけに、マネット父娘、ローリー、ダーニー、そしてカートンは親交を持つようになります。さらには、よく似た二人の男、ダーニーとカートンは、ともにルーシーに想いを寄せるようになるのです。
1780年頃、パリ: ダーニーの侯爵家との決別、ダーニー&ルーシーの結婚

『二都物語』人物相関図。(画像クリックで拡大します)
ダーニーは、実はフランスの有力貴族サント=エブルモント侯爵(The Marquis St Everemonde)の甥でした。しかしダーニーはパリを訪れ、叔父である侯爵と決別し、「侯爵」の地位の継承権を放棄します。そして彼は、イギリスに戻って身分を隠してルーシーと結婚するのでした。
それからほどなくして、サント=エブルモント侯爵は、これまでのフランス市民への残忍な行為が祟って恨みを買い、市民に暗殺されてしまいます。
1792年、パリ: ダーニーの渡仏と捕縛、そしてダーニー救出の試み
1792年。ダーニーはイギリスで、妻のルーシーと子供と共に幸せな生活を送っていました。
一方、1789年のフランス革命によって絶対王政と封建制度が崩壊したフランスでは、市民の間で旧貴族階級への憎しみが蔓延していました。貴族が市民によって捕らえられ、ろくな裁判もされずに処刑されることが、日常的に行われていました。
そんな状況下で、ダーニーは、故サント=エブルモント侯爵の元召使いが市民によって捕らえられたという知らせを受け取ります。ダーニーは、元召使いを助けるためにフランスへと渡りますが、そこで故サント=エブルモント侯爵家の者であることが市民に知られ、監獄へと捕らえられ、死刑判決を受けてしまいます。
ダーニーを助けるため、ルーシー、マネット医師、ローリー、カートンはパリに向かいます。旧貴族階級とみるや問答無用で断頭台送りにするフランスで、果たしてダーニーを無事に救出することはできるのでしょうか。
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『二都物語』の感想と印象的なシーン
冒頭でディケンズの作品の特徴について触れたように、『二都物語』でもフランス革命前後の貴族階級と市民の階級間の対立が浮き彫りにされています。
サント=エブルモント侯爵が代表する貴族階級が、典型的な極悪人に描かれているので、読者の憎しみをもガンガン煽ってきます(笑)。貴族の権力により蹂躙される市民をみると、階級社会の恐ろしさが身近なもののように感じられますよね。
しかし、この作品を読んで特に恐ろしく感じたのは、貴族の横暴などよりも、「革命に酔いしれる民衆の集団狂気」でした。本作では、こちらも非常に丁寧に描かれています。
旧貴族階級に向けられる見境のない集団憎悪(対象:ダーニー)
ダーニーが革命後のフランスで捕らえられた時に、裁判が行われるのですが、ダーニーはほとんどフランスにいたことがないし、侯爵の身分を捨ててイギリスで家庭を持っているのにも関わらず、フランス市民はそんな事情に耳を貸しません。
‘Death to St Everemonde!‘ shouted the people in the courtroom. ‘Death to all aristocrats!‘
‘Charles St Everemonde,’ said the President of the Court. ‘Your uncle was an enemy of the people. You are an enemy of the people. You must die. You will go to the guillotine tomorrow.’*日本語訳(拙訳)*
「サント=エブルモントに死を!」と、法廷の市民たちは叫び立てた。「全ての貴族に死を!」
「チャールズ・サント=エブルモント」と、裁判長は言った。「お前の叔父は市民の敵であった。お前は市民の敵だ。お前は死ななければならない。明日、ギロチンにかけられるのだ」ーCharles Dickens, Tale of Two Cities
, Macmillan Education, 2005, p.52
「Death to all aristocrats!(全ての貴族に死を!)」ですからね。見境がなくなっています。
貴族「関係者」に向けられる見境のない集団憎悪(対象:ルーシー)
「貴族への見境のない憎悪」という点で象徴的なのは、パリのワイン店の店主の妻であるテレーズ・ドファルジュ(Therese Defarge)が、ダーニーの妻であるルーシーを殺害しようと、ピストルを持ってホテルにやってくるシーンです。
テレーズ・ドファルジュには、貴族を憎む理由となる特別な過去があります。彼女の憎悪の対象を中心に、人物相関図をまとめ直してみました。

『二都物語』人物相関図。(画像クリックで拡大します)
テレーズは、エルネスト・ドファルジュ(Ernest Deferge)の妻です。エルネストは、ルーシーの父であるマネット医師の元召使いであり、現在はパリでワイン店を営んでいます。テレーズは、幼い頃に姉家族をサント=エブルモント侯爵に惨殺されたため、サント=エブルモント侯爵家を深く憎んでいます。その憎悪は革命によって膨れ上がり、憎悪の対象は、侯爵とその周辺にまでも向けられます。
それぞれの憎悪の対象について、わたしが個人的に感じた印象は以下です。
- 憎しみ(A)
サント=エブルモント侯爵:テレーズの姉家族を惨殺 ←わかる - 憎しみ(B)
チャールズ・ダーニー:サント=エブルモント侯爵家の者 ←まあわかる(仕方ない) - 憎しみ(C)
ルーシー:ダーニーの妻 ←!?
正確にいうと、気持ちはわからなくはないんですよ。わからなくはないんですが。
ルーシーは貴族ですらないし、あなたの旦那さんがお世話になったマネット医師(しかも当時テレーズの姉を助けようとし、現場を目撃してしまったがために口封じのために18年も投獄されていた被害者)の娘さんでしょうが!
って、ついツッコミを入れたくなってしまいます。
ドファルジュ夫妻はダーニーの裁判でルーシーと会っているはずなので、ダーニーの妻がルーシーで、被害者であるマネット医師の娘であることも知っているはずです。
それなのにわざわざルーシーを殺害しに来るテレーズを見ていると、「すべての貴族を血祭りにあげてやる!」という見境のない熱狂に浮かされているように思えますよね。
もはや貴族ですらない人に向けられる見境のない集団憎悪(対象:罪なき少女)
貴族の一族の者(例:ダーニー)、貴族の関係者(例:ルーシー)は、百歩譲ってまだ何とか理解できるとして、こういう「扇動された民衆の熱狂」の中で、何の関係もない無実の人が、言われのない罪で犠牲になることがよくあります。
中世の魔女狩りなんかは、「気に入らない女性の隣人を魔女だと告発して処刑する」ことがかなりあったようですが、この明らかに純粋そうな少女も、その類なんでしょうか。
ちなみに、物語の終盤の超絶ネタバレシーンの引用ですので、ご注意ください!
There was a young girl in the cart with Carton.
‘What have you done, my dear?’ he asked her.
‘I do not know,’ the girl replied. She was crying. ‘I am not an aristocrat. I am not a spy,’ she said. ‘But I am going to the guillotine.’
Carton held the girl’s hand. ‘You must be strong,’ he said.
… (An omission) …
‘Monsieur, are the people shouting your name?’ she asked.
‘Yes,’ said Carton. ‘I am St Evremonde.’
‘I am very frightened,’ said the girl. ‘Will you hold my hand until the end?’
‘Yes,’ said Carton. ‘Look at me. Do not look at anything or anybody else.’
The cart stopped by the guillotine.
‘You are a good man,’ said the girl. ‘Goodbye, Monsieur.’
‘Goodbye my dear,’ said Carton. And he kissed her lips gently.*日本語訳(拙訳)*
馬車には、年若い少女が、カートンと一緒に乗っていた。
「君は何をしたんだい」と、カートンは少女に尋ねた。
「わからないの」と、少女は答えた。彼女は泣いていた。「わたしは貴族じゃない。スパイじゃないわ」と、彼女は言った。「でも、わたしはギロチンにかかるの」
カートンは少女の手を握った。「気持ちを強く持たなければいけないよ」と、彼は言った。
… (中略) …
「ねえ、人びとはあなたの名前を叫んでいるの?」と、彼女は尋ねた。
「そうだよ」と、カートンは答えた。「私は、サント=エブリモントだ」
「わたし、とても怖いわ」と、少女は言った。「最後まで、手を握っていてくれる?」
「ああ」と、カートンは言った。「私を見ていなさい。他のものは何も、誰も見なくていい」
ギロチンのそばで、馬車が止まった。
「あなたは善い人ね」と、少女は言った。「さようなら」
「さようなら、お嬢さん」と、カートンは言った。そして、少女の唇に優しくキスをした。ーCharles Dickens, Tale of Two Cities
, Macmillan Education, 2005, pp.61-62
もう、同じ顔の人が出てくると、嫌な予感しかしないですよね…^^;
カートンの自己犠牲は、たぶん原作だとかなり丁寧に描かれているのではないかと予測しています。ルーシーを心から愛し、ルーシーを愛するがゆえに彼女の幸せのためになら何でもするという自己犠牲。絶対原作を読まないとな、という気持ちにさせられます。
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まとめ:本当に怖いものは「普通の人たちの集団狂気」

ディケンズの『二都物語』。本当はこんなに長く感想を書く気は無かったのですが、忘れないように人物相関図を書き始めたら、登場人物たちのことがいろいろ気になりだして、気づいたら語っていました(笑)。ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

『二都物語』人物相関図。(画像クリックで拡大します)
それにしても、初めてギロチンという存在を知ったときには「こんな野蛮な処刑具を考案するなんてキチガイにもほどがある…」とドン引きしたものですが、いま考えると、むしろ当時の処刑方法としては比較的人道的な方だったんだろうなと思います。受刑者の苦痛が少なく、誰がやっても同じ精度で刑を実行できるという点で。
だって日本の「ハラキリ」なんて、まず切腹だけでは死ねないし、介錯も相当の手練れじゃないと刀の一振りで人の首の骨を切り落とせないでしょうから。(最近また『お〜い!竜馬』や『あずみ
』を読んでいるので、つい比較してしまいます。あずみくらいの使い手なら安心(?)ですけどね・・・)
まあ、ギロチンが狂気を思わせるのは、民衆の娯楽と化してしまったからなのでしょうね。繰り返しになりますが、一番怖いのは煽動された「普通の人びとの集団狂気」だと思います。
それでは、今日も素敵な一日を!
fummy