東京のすみっこより愛をこめて。fummyです😊💡
英語多読100万語を目指して、多読を進めています!
「ラダーシリーズ (Level 1)」にすっかりハマっているのですが、今回取り上げるのは偉人の伝記。
非暴力・不服従を貫き、武力闘争なしに大英帝国からインドを独立させた奇跡の人、マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi)の伝記『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』です!
わたしも実は、一時期ガンジーに傾倒していたことがあって(笑)、その時に伝記を(日本語で)読んだはずなんですが、少し年齢を重ねたからか、今回改めて読んだときに、ガンジーの偉大すぎる功績の裏に、想像を絶する挫折があったことに気づいて、ショックを受けました。
そりゃあ、わたしだって、今まで生きてきて辛いことはあったけど、「ガンジーの味わった絶望に比べたら無に等しいわ・・・」って、愕然としてしまいました。ぜんぜん、生ぬるい。ぜんぜん、まだまだ挫折できる。(※いや、むやみに挫折したくはないけど…)
・・・という感じで、改めて読んだら色々感じるところがあったので、今回は、伝記の中から、良い意味、もしくは悪い意味でショックを受けたエピソードを3つ取り上げて、ガンジーの偉大な魂と、その生き様をおさらいしたいと思います!
その際、「ラダーシリーズ (Level 1)」版の『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』から本文を引用して日本語訳をつけていきます。有名な人物のエピソードではありますが、一応、ネタバレにご注意ください!
SPONSORED LINK
前提情報①:『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』について
本題に入る前に、まず英語多読者向けの前提知識として、「今回取り上げる本」と、「ガンジーの概要」の情報をまとめておきます。(具体的なエピソードについて早く知りたい方は、「前提情報」の項目は飛ばしてください)
インド独立の父の伝記『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』について
今回取り上げる『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』は、以下の本です。
本作は、英語学習者向けに簡単な英語で書かれた、Graded Readers(GR)版のマハトマ・ガンジーの伝記。
わかりやすい英語で簡潔にまとまっているので、ガンジーの伝記を読んだことがない方には特におすすめです。英語と偉人の人生が手っ取り早く学べます^^
英語多読者向けの『ガンジー・ストーリー』基本情報(総語数、英語レベル)
「ラダーシリーズ 」版の『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』の基本情報(難易度など)は、以下の通りです。
- 書名 : The Gandhi Story
- シリーズ: ラダーシリーズ (Level 1)
- 収録作品: The Gandhi Story
- 総語数 : 8190語
- ページ数: 79ページ(巻末の単語リスト除く)
- 読みやすさレベル(YL):YL2.8
基本情報は、ラダーシリーズの公式ホームページを参考にしています。
総語数は多めですが、単語もやさしく、使われている英語表現も簡潔なので、ラダーシリーズ(Level 1)の中でも読みやすい方だと感じました。
YL2.8をつけた理由は、ヒンディー語や、ヒンドゥー教の思想が元になっている単語の発音や概念が、少々難しいためです。英語自体はやさしいので、冒頭の用語集をチラチラ見ながら読めば、スラスラ読めてしまうでしょう。
参考: Re: 洋版のラダーシリーズのYLってどのくらいでしょうか?(英語多読研究会SSSの掲示板「YL・語数・書評システム情報」より)
SPONSORED LINK
前提情報②:マハトマ・ガンジーの概要
マハトマ・ガンジーの写真(画像はWikipediaより)
マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi, 1869-1948)は、本名モハンダス・カラムチャンド・ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi)。インドのグジャラート出身の弁護士であり、宗教家、政治活動家です。
- 父親はグジャラート州のポールバンダル藩王国の宰相。地域の名士の家庭に生まれた。
- 18歳のときにロンドンに留学。3年間、法廷弁護士になるための勉強をする。
- 帰国後、南アフリカで弁護士をする傍ら、インド人差別に対する権利回復運動を行う。
- インド帰国後は、イギリスの植民地であったインドの独立運動に尽力。「非暴力・不服従」の思想(サティヤーグラハ)を用いて運動を行い、1947年に成し遂げる。
- 1948年、ヒンドゥー原理主義団体の青年によって暗殺される。
ガンジーは、イギリスによるインド支配に「非暴力・不服従」をもって抵抗し、武力を用いることなくインドを解放を実現させた活動家です。
ガンジーを理解する上で、おさえておいた方がいい単語が2つほどあるので、かんたんに紹介しておきますね。
マハトマ(Mahatma, 偉大なる魂)
ガンジーは「マハトマ・ガンジー」と呼ばれていますが、「マハトマ」は名前ではありません。ヒンディー語で「偉大な魂(Great Soul)」を意味し、インドの大聖者や高貴なる人の名に添えられる尊称です。
ちなみに、ガンジーはヒンドゥー教徒ですが、聖職者ではありません。
しかし、いかなる階級の人とでも分け隔てなく接し、インド独立のために全てを捧げたガンジーの姿に心動かされたインド国民たちが、親しみと尊敬を込めて、「マハトマ(偉大なる魂)」と呼ぶようになったのです。
サティヤーグラハ(Satyagraha, 真実の把持)
ガンジーが提唱した「非暴力、不服従」の思想は、「サティヤーグラハ(Satyagraha)」と名付けられました。これは、ガンジーの造語で、「真実の把持(はじ)(Truth Force)」 という意味です。
インド人たちは、ガンジーの指導のもと、「非暴力、不服従(サティヤーグラハ)」の思想に従い、
- イギリスが制定した理不尽な法に従わない
- イギリス製品不買運動
といった、暴力を伴わない抵抗運動をしました。
しかし、サティヤーグラハの真髄は、これだけではありませんでした。
やられても、やり返してはいけない。
抵抗運動を取り締まるために、ときにイギリスは軍隊の武力によってこれを鎮圧しました。「非暴力、不服従」の原則に従うなら、たとえイギリスに武力や暴力をふるわれても、武力や暴力で復讐してはいけない、やり返してはいけないのです。
これは並大抵のことではありません。自分だけならまだしも、例えば大切な家族が殺されてしまったら、復讐心を持たないことなんてできるでしょうか。サティヤーグラハを実践するには、途轍もない精神力と忍耐力が必要だったことが想像できますし、これを一般の人々に浸透させるのにも、かなりの困難が伴ったことが推測できます。
しかし、結果として、サティヤーグラハは、絶大な効力を発揮しました。
世界に影響を与えたサティヤーグラハ
一般的に、植民地を支配者する側は、傲慢にも、「未開の野蛮人を文明化してやってる」くらいに思っているものです。でも、絶対に暴力に訴えない人たちを一方的に殺したり傷つけたりすることを続けていたらどうでしょうか。次第に「どちらが野蛮か」気づくものです。
しかもその非人道的な行いを世界中が見ていて、世界中からの非難にさらされるとなると、もはや支配者側は、抵抗運動に対してなすすべが無くなります。
こうしてガンジーは、サティヤーグラハ(非暴力・不服従)を実践して、内側からも外側からも、インド人たちの権利を徐々に認めさせていき、1947年には、インド独立を果たすことができました。
武力を用いずに権利を勝ち取れることを、世界に証明したのです。
サティヤーグラハ(非暴力・不服従)は、世界中に大きな影響を与え、のちに、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアなども、公民権運動に取り入れています。
SPONSORED LINK
エピソード1:ガンジーの人格形成に大きな影響を及ぼした偉大な父親
ここからエピソード紹介ですが、まずは好きなものを。
ガンジーの人格形成に深く関わった、お父さんとのエピソードです。
子どもの頃は不良だったガンジー
現人神かと思われるくらい、とてつもなく徳が高く、人格者のイメージのガンジーですが、子どもの頃からそんな聖人君子のような人物だったわけではありませんでした。
例えば高校時代のガンジーは、成績は優秀でしたが素行は意外にも悪かったのです。ヒンドゥー教徒は肉を食べてはいけないのにも関わらず、こっそり肉を食べていたし、この頃にタバコも吸い始めます。
聖人君子どころか、不良です。
お金を盗んでしまったガンジー
あるときガンジーは、タバコを買うお金がないことに気づき、ついには友達と一緒に、タバコを買うためにお金を盗んでしまいます。
ところが、盗んだお金で手に入れたタバコを吸い始めると、すぐにガンジーは罪の意識に意識に苛まれます。そしてついには耐えられなくなって、父のもとへと向かいました。
After that, Gandhi felt terrible about what he did. He was very afraid, but he went to his father. Gandhi told him that he stole some money. Gandhi was very surprised because his father was not angry.
Gandhi’s father told him that he was very happy. He was happy because Gandhi did not lie to him and did the right thing. Both of them cried. Gandhi learned that if you do the right thing, you do not have to be afraid.*日本語訳(拙訳)*
それからガンジーは、自分がひどいことをしでかしてしまった気がしてなりませんでした。ガンジーは恐れながらも、父親のところに赴きました。ガンジーがお金を盗んでしまったことを告げると、驚くことに、父はガンジーを怒らなかったのです。
父は、とても嬉しいのだと息子に告げました。なぜなら、ガンジーは父親に対して嘘をつかず、正しいことをしたからです。二人は泣きました。正しい行いをするのに、何も恐れることはないのだと、ガンジーは学んだのです。ージェイク・ロナルドソン『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』IBCパブリッシング、2010年 p.11。
ガンジーのお父さんは、ポールバンダル藩王国の宰相で、地域の誰もが認める立派な人です。しかもとても厳格な人だったそう。
そんなお父さんに、自らが犯してしまった過ちを隠さずに、言い訳せずに伝えることは、とても勇気がいる行為だったと思います。それを成し遂げたガンジー。
そして、お父さんはとても立派な人ですね。自分が子を持つ親だとしたら、こんなふうに勇気を出して自分の罪を伝えた子どもを、温かく包み込んであげられる存在になりたい。
父も子も、どちらも正しく、立派ですよね。
二人とも素晴らしくて、胸を打たれます…!
SPONSORED LINK
エピソード2:南アフリカで遭遇した、白人による人種差別の理不尽
次は、ガンジーがインド国民の権利を回復する運動に駆り立てられるきっかけとなったエピソードです。
ガンジーは18歳のときに弁護士を志し、イギリスのロンドンに留学をして、法曹院で勉強をします。そして、3年後の1891年に帰国しましたが、インドでは弁護士の職につけず、南アフリカ共和国のダーバン(Durban)で就職先を見つけます。
南アフリカでインド人差別に遭遇し、ショックを受けたガンジー
南アフリカで、職場に向かうために、何気なく電車に乗ったときに起こった事件が、ガンジーがインド国民の権利を回復する運動に駆り立てられるきっかけとなりました。
In England, Gandhi had trouble because he did not know about elevators, and in South Africa, he had trouble because he did not know about the culture. One day, he wanted to take a train and bought a ticket as usual.
A white person on the train saw Gandhi and became angry. In South Africa, people who were not white could not ride in the same cars with white people. Gandhi was asked to move, but he did not. When the train came to the first stop, Gandhi was thrown off the train!*日本語訳(拙訳)*
イギリスでは、ガンジーはエレベーターなるものを知らなかったために戸惑いましたが、南アフリカでは、文化に戸惑うことになります。ある日、ガンジーは電車に乗りたいと思い、いつものようにチケットを購入しました。
一人の白人がガンジーを見るなり、怒り出しました。南アフリカでは、白人以外の者が、白人と同じ車両に乗ることは許可されていないのです。場所を移るように言われましたが、ガンジーは言うことをききませんでした。電車が最初の駅に到着すると、ガンジーはつまみ出されてしまったのです!ージェイク・ロナルドソン『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』IBCパブリッシング、2010年 pp.18-19。
チケット代を払っているのに、「白人ではない」と言う理由だけで電車から放り出されるという仕打ちに、ガンジーは強いショックを受けます。
しかも、思い出してみてください。ガンジーは、イギリスの法曹院で勉強した弁護士で、ロンドンで英語と英国式マナーを身につけています。身なりもこの頃は、きっちりとスーツを着こなしていました。むしろ、当時のほとんどの一般的なイギリス人よりも、品行方正で、賢く、教養があったのではないでしょうか。
そんなガンジーですら、インド人(白人ではない)という理由で、電車から放り出される。
同じ人間として扱われない。
このような経験をして、ガンジーは、「インド人が南アフリカでいかに理不尽な扱いを受けているのか」と言うことを、身をもって知ったのです。
南アフリカで、インド人の権利を守る活動を行うことを決意したガンジー
電車からつまみ出された後、ガンジーは怒りに打ち震えます。
Gandhi lost his luggage, and he became very angry. He walked all night, thinking about what he could do to change things for Indians in South Africa.
It was a cold winter night, and it was a terrible time for Gandhi. But it was also one of the most important nights of his life.*日本語訳(拙訳)*
荷物をなくしたとともに、強い怒りがこみ上げてきました。ガンジーは、夜どおし歩いて、南アフリカのインド人の境遇を変えるために、自分ができることは何か考えていました。
それは寒い冬の夜のことで、ガンジーにとっては、つらい経験となりました。しかし同時に、この日は、彼の人生の中でも、最も重要な夜の一つとなったのです。ージェイク・ロナルドソン『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』IBCパブリッシング、2010年 pp.19-20。
当時(1893年)の南アフリカでは、インド人が白人と同じ車両に乗ることができないばかりか、家や土地を所有することや、夜に外出することも禁じられていました。また、あろうことか、インド人の投票権を剥奪する法律まで制定されました。
ガンジーは家族とともに南アフリカに住むことに決め、南アフリカに住むインド人の権利を守る運動に尽力しました。ガンジーのインド人の権利回復のための運動は、南アフリカから始まり、のちにインド本国の独立へとつながっていくのです。
SPONSORED LINK
エピソード③:「インド独立の夢」の実現と絶望
3つ目のエピソードは、ガンジーが人生最大の絶望を味わったときのものです。
話は一気に、インド独立の日に飛びます。
独立と同時に、2つに分断されたインド
1947年8月14日、ガンジーが78歳のとき、念願のインド独立が成し遂げられます。しかし、ガンジーの表情は、決して明るいものではありませんでした。
なぜなら、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との対立が解決しないままの独立だったからです。独立と同時に、インドは2つの国に分かれてしまいます。
On August 14, 1947, the dream of Gandhi and the Indian people came true. India was given independence.
The Indian people were very happy, but Gandhi was worried. He knew that there was going to be fighting between the Hindus and Muslims.
India was made into two countries. The new country was called Pakistan, and it was Muslim.*日本語訳(拙訳)*
1947年8月14日、ガンジーとインド国民たちの夢が実現しました。インドの独立が認められたのです。
インド国民はとても喜びましたが、ガンジーには懸念がありました。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との闘争が起こることがわかっていたからです。
インドは2つの国となりました。新しい国はパキスタンと呼ばれる、イスラム国家でした。ージェイク・ロナルドソン『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』IBCパブリッシング、2010年 p.69。
ガンジーはヒンドゥー教徒とイスラム教徒を和解させて一つのインドを作ろうと活動していましたが、それはまだ叶っていませんでした。インドの独立が認められると、イスラム国家パキスタンができ、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の闘争が起こりました。1200万人もの人が住む家を追われ、50万人もの人が命を落としました。
この時のガンジーの絶望は計り知れません。
自分が50年以上の月日をかけて、命がけで帝国と戦ってきたのは、インド国民たちを同じ民族同士で殺しあわせるためだったのだろうか?
自分のしてきたことは、すべて無駄だったのだろうか?
人生をかけて行った運動が、無駄だったどころか、インド国民同士の殺し合いという最悪の結果を招いたのだとしたら、この世のすべてに絶望して死にたくもなるでしょう。
実際、ガンジーはこの時、死にたいとも考えていました。
しかしそれは単に、目の前の凄惨な現実に絶望したからではありませんでした。
絶望してもなお、人々のために命を捧げる覚悟のガンジー
インド独立後、パキスタンとインドの間の争いは絶えませんでした。それでもなお、ガンジーは諦めずに各地に赴き、争いを止め、インドを一つにしようとしました。
インド国民の中には、このような事態を招いたガンジーを憎む者もいて、ガンジーはどこへ行くにも、命の危険に晒されていました。
ガンジーの心は悲しみに満ちていましたが、活動を止めようとはしませんでした。
Gandhi was very brave, but in his heart, he was sad. He said, “My entire life has been defeated. And my death must achieve what my life failed to achieve.” He went to many dangerous places, but he had no security.
One day, Gandhi told people that he believed he should be killed. He thought it maight be the best thing for India. He said that if he died without being afraid and if he thanked God when he was dying, then maybe he really was a true Mahatma, a great soul.*日本語訳(拙訳)*
ガンジーはとても勇敢でしたが、心の中は悲しみに沈んでいました。「私は人生の敗残者だ。私は自らの死をもって、我が人生で成し得なかったことを、成し遂げなければならない」と、ガンジーは言いました。彼は、多くの危険な場所を訪れましたが、身の安全の保障はありませんでした。
ある日ガンジーは、自分が殺されるべきだと確信していると、民衆に語ったことがありました。彼は、そうなるのがインドにとって最善なのではないかと考えていたのです。そして彼は言いました。もしも恐れることなく、神へ感謝しながら死んだならば、おそらく、その時にこそ、自分は本当に真のマハトマ、つまり、偉大なる魂になるのだと。ージェイク・ロナルドソン『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』IBCパブリッシング、2010年 pp.73-74。
ガンジーは絶望してもなお、すべてを投げ出そうとも逃げ出そうともしませんでした。
自らの使命と責任を自覚し、また、それを果たすために必要ならば、死をも望んでいたのでした。
SPONSORED LINK
まとめ:これほどの絶望に耐えることができるなら、人はなんでもできる
「簡単な英語で偉人の伝記を読む」という軽い気持ちで読み始めたラダーシリーズの『ガンジー・ストーリー(The Gandhi Story)』。思いのほか、衝撃を受けました。
50年以上の人生をかけて成し遂げたことによって、自分のせいで、自分が守りたかった人たちが争い、次々と死んでいく様を見せられたら、そんなの耐えられるでしょうか?
そんな絶望など想像できないくらい、わたしが今までしてきた挑戦や挫折なんて、コメ粒みたいなものだなあと思ってしまいました。うん、もう、挑戦しよう。そして、これから先、もしも挑戦をして挫折して落ち込むことがあっても、ガンジーのエピソードに思いを馳せて、乗り切ろう。
勇気が出たのか、ただの開き直りなのかよくわかりませんが(笑)、とりあえずガンジーに勇気をもらえて吹っ切れたようなので、実りのある読書体験になりました^^
それでは、今日も素敵な一日を!
fummy